「石津祥介しゃべり亭」第2号は、祥介先生と車対談です。ゲストには大の車好きで知られる、石津家三代目、石津塁さんも参加していただきました。
 濃ゆ〜い内容のため、第1部(1950年代中期〜1970年代中期)
第2部(1970年代後期〜現在まで)の2部構成でお届けいたします。
 オイリーボウイもシティボーイも必見!!完全保存版級貴重な内容となりました。
それではどうぞ!!


ごましおたかし:(以下、ごましお)「今回は祥介先生に車について伺えればと思います。所有された車は数多あると思いますが、その中でもお気に入りの車、印象的なエピソードなどお聞きしたいと思います。」
石津祥介:(以下、先生)「まず初めは、アウディの前身だった、DKW SONDERKLASSEを大阪から持ってきて乗っていました。
次がフォード・フェアレーンでした。」
奥に見えるのが大阪から持ってきたDKW SONDERKLASSE。左は石津謙介さん。写真提供:石津事務所。
ごましお:「フェアレーンとの馴れ初めを聞かせていただけますか?」

先生:「当時、面白い中古ディーラーがいましてね、その人は自分のショールームが横田の米軍基地にあると言うんですよ。何故だかわからないですが、横田基地を顔パスで入れちゃう人でした。(笑)その人と一緒に横田基地についてったんです。そしたらカマボコ兵舎が並んでいる前に、米軍兵が持ってきたアメ車がダーっと並んでるんですね。当時23、4才でしたか。戦後日本の若者には眩しく写りましたね。」

ごましお:「戦後の若者に憧れるなと言っても無理でしょうね。そこでフォード・フェアレーンを購入したわけですね?」

先生:「そうですね。その横田基地顔パスの中古ディーラーに3台マークしてくれと言われました。そしたらその人が米兵に交渉に行ってくれるんです。この日本人が、車が欲しいと言っている。いくらなら売るか?とか言ってね。」

ごましお:「3台中で、フェアレーンに決めた理由はなんでしたか?」

先生:「それはですね、コンバーチブルが電動だったんです。電動でなければ買わなかったかな。
 今まで買った車の中でこのフェアレーンだけ選ぶ物差しがちょっと違ったというか・・・ミーハーだったかもしれませんね。ミーハーで格好良いと思っていたんだなと。俺は、こんな車を乗ってるんだって。今は反省していますよ。」
石津塁:(以下、塁さん)「穂積先生(イラストレーター穂積和夫さん)に、フェアレーンを書いてもらったイラストがありますよ。乗っていたものと色も同じです。23、4才でこの車ですからね。背伸びしていたんだと思いますよ。」


※穂積さんに描いてもらったフォード・フェアレーン。提供:石津事務所。

先生:「その次に乗ったのが、歴代の中で唯一の国産車。いすゞがノックダウン生産していたヒルマン・ミンクスでした。この車は新車で買いました。」
写真wikipediaより。
ごましお:「ヒルマン・ミンクスですか。素敵ですね。50’sと60‘sの中間的デザインですね。この車を選んだ理由はデザインですか?」

先生:「いやいや、ヒルマン・ミンクスを買ったのは、日本グランプリが悪いんです。その頃弟がレーサーをやっていまして、しょっちゅう鈴鹿サーキットに見に行っていました。ヒルマン・ミンクスは、ツーリングカーの中では圧倒的に早かった車でした。」

ごましお:「その頃の、高性能車な訳ですね。」
塁さん:「それほどでもなかったと思いますよ。もう少し小さいクラスは、スバル360とかでレースしていましたから。そう言うレベルですよ。」

先生:「僕が乗っていたヒルマン・ミンクスよりレーサー化されたスバル360の方が圧倒的に早かったですね。弟が乗っていたのはオースチンヒーレースプライトでした。それがスバル360に勝てないのですから。形こそスバル360ですが、スバルが躍起になって作った完全にレーサーでしたね。」

ごましお:「その頃に活躍していたレーサーはどなただったのですか?」

先生:「式場荘吉。横山達。生沢徹。その辺りが日本レース界の初期メンバーでしたかね。ボンボンレーサーですね。金持ちの息子たちばかりでしたよ。」

塁さん:「ワークスがない時代ですから。金持ちじゃないと出られないですよ。第一回日本グランプリが、1963年でしたからね。東名高速がない中、自走で鈴鹿まで行っていたらしいですよ。ナンバー付けたまま。」

ごましお:「本当ですか。今のレースでは考えられない状況でしたね。」

先生:「国道1号線の約7割が舗装していない状況でした。夕方日が沈む頃は砂埃で運転できたものじゃなかったですね。」

先生:「蓋を開けたら第1回日本グランプリに数十万人も集まっちゃったわけですね。それで慌てて各メーカーさんが自社の車をレーサーにして、今のワークスみたいのが始まったわけです。レースに勝てばすごい宣伝効果になりますから。第2回からは各社で競っていましたよ。」

塁さん:「それで叔父がレースに没頭していたものですから、VANも「レーシングメイト」って言うカーアクセサリー会社と言うか、チューンナップ会社を手伝っていました。」

ごましお:「え、レーシングメイトって徳大寺さんがやってらっしゃった会社ですよね。確かHONDAのN360(Nコロ)のアフターパーツを作っていた・・」

先生:「そうですね。式場荘吉くんと杉江くん(徳大寺さんの本名)が立ち上げたのがレーシングメイトです。そこに弟の祐介も入っていました。」

塁さん:「VANとは密接な関係だったわけです。」

先生:「VANがあったからレーシングメイトはしばらく継続できました。僕が判子押していたのですから。(笑)
 ちゃんと役員会通していたんですよ。僕が申請するもんですから、誰も文句言わないわけですよ。それである時ね、会社で問題になったんです。
銀行からクレームが来てね。責任とって給料カットされた頃もありました。」

ごましお:「徳大寺さんといえば、「カーグラフィックCG」や「間違えだらけの車選び」などでも有名ですが、洒落者としても有名でしたよね。徳大寺さんとのエピソードは何かありますか?」

先生:「彼の本名は、杉江って言うんです。彼が経理マンだった頃に知り合いました。レーシングメイトの経理担当でしたから。だから、彼が僕んとこに用立ての相談によく来ていたんですね。(笑)
 彼はレーシングメイトに集まってきていた中で、ドラビング技術は高くて速かったんですよ。それでトヨタのワークスドライバーになったんですね。第3回の時にクラウンで出ていたんじゃないかな?」

塁さん:「そんなこんなで、VANにとっても、石津家にとっても、スピードの速い車時代に突入するわけです。」

先生:「次が、コルチナGT、コルチナ・ロータスと続きます。GTの速さでは満足いかず、チューナップされたコルチナ・ロータスに乗り換えたわけです。」
写真コルチナ・ロータスのレース仕様プラモデル。コルチナGT物語より。
先生:「コルチナ・ロータスは早くて良かったのですが、街中で乗るにはGTの方がはるかに乗り心地が良かった。今までの中でもGTはベストと言ってもいいくらいです。」

塁さん:「その頃に、長女、僕の姉が生まれたわけですね。」

先生:「そうそう。結婚と同時に出産でした。コルチナ・ロータスは足がガチンガチンで、家族を乗せるにはどうにも向かない車でしたよ。
それでシトロエンDSに乗り換えました。」
写真:シトロエンDS エディトゥールより。
ごましお:「フランスの宇宙船ですね。独創的なデザインですよね。ハイドロサスペンションですし、乗り心地は良かったんじゃないですか?」

先生:「とにかく足が柔らかくて、乗り心地のいい車を探していました。
 当時、虎ノ門にあった日仏自動車がありましてね。そこに行ったら、多摩川の多摩堤通りで試乗すると言うんですよ。そしたら凸凹だらけの道をすっ飛ばすわけです。ハイドロサスペンションが上下に良く動いて凸凹を吸収してしまうんです。凄いと思いましたよ。それで買ったわけです。
 買ったのはいいんですがね、残念なことにマンションの駐車場で擦ってしまうんですよ。ホイルベースがもの凄く長いんですね。ハイドロで車高を上げると天井を擦りそうになるし、不便でしたね。半年も乗らずに乗り換えることになりました。」

ごましお:「次は、何になさったのですか?」

先生:「フォード・ターヌスですね。はじめは、丸っこくて良いデザインでした。乗り心地も大変良い車でした。」
写真:フォード・ターヌス coches.comより
ごましお:「趣のある車ですね。味わい深い。」

塁さん:「英国車とアメ車が混在したデザインですよね。後ろが少しジャガーっぽいんですね。お尻が下がっていて。」

先生:「ターヌスは乗り心地も良くて好きな車でした。
 次は、親父のお下がりでBMW2500に乗りました。
家族を持ったもんですから、安全な車を勧められましたね。」

写真BMW2500 duckduckgo.comより
ごましお:「BMW2500はどうでしたか?」

先生:「あんまりピンとこなかったですね。そうだ、初めて乗ったパワーウィンドウ車でしたね。パワーウィンドウを下げたら上がらなくなっちゃいましたがね。」

塁さん:「2500は、その前の2000との系譜があって、ラグジュアリー路線のモデルでした。当時は、みんな打倒メルセデスだったんでしょうね。でもBMW2500は質実剛健と言うよりは、どこかエレガントでモダンですよね。綺麗な車だと思いませんか?」

ごましお:「BMW2500は綺麗なセダンですよね。アイアンバンパーが凄く似合っていて品がいい。次は、VOLVOですよね。」

先生:「初めてお付き合いでVOLVO164Eを買いました。帝人が初めて車をやるっていうんです。帝人VOLVOと言う会社だったかな。繊維で取引していましたから、それで割り当てられて。
 初めて乗った時は、「これ、トラックじゃん。」て思いましたね。丈夫で良く走るんですけどね。あの国の風土でしょうね。椅子が直角だったのをよく覚えています。」
写真:VOLVO164E 写真提供:石津事務所
ごましお:「あまり印象は良くないのですか?」

先生:「とにかく安全で丈夫って言う印象でしたね。だからトラック的と言いましょうか。当時、帝人の大屋社長。ほら、大屋政子さんの夫。その大屋晋三社長の一番気に入っていたのは安全ってことでしたね。車はこうでなくちゃって言ってね。すぐ合弁会社を作ったみたいですよ。」

ごましお:「貴重なお話しありがとうございました。ここまでで第1部とさせていただきます。ここまで振り返ってみて、車選びに基準みたいなものはありますでしょうか?」
先生:「その時の気分に合わせると言いますか「着たい車、着替える車」なんて、どうでしょう?」

ごましお:「着たい車、着替える車ですか。時代や流行、生活スタイルと密接に関係してきますからね。その時々に合わせて着替えると。そういうことでしょうか?」

先生:「僕の中では、服と車はその時の着たい物や、TPOに合わせて着替えるものなんですよね。」

第二部に続く・・・

今回登場する、先生の愛車。
1954年〜 DKW・SONDERKLASSE
1959年〜 フォード・フェアレーン
1960年〜 いすゞ ヒルマン・ミンクス
※いすゞ自動車がルーツ自動車と提携しノックダウン生産
1963年〜 英国フォード・コルチナGT
1965年〜 ロータス社製・コルチ・ナロータス
1966年〜 シトロエン・DS
1967年〜 フォード・タウヌス
1972年〜 BMW2500
1974年〜 VOLVO 164E